量子ファイナンス
価格はランダムウォークか — 120年分の答えと、その限界
株価はランダムウォークに従う、という仮説は1900年にさかのぼる。この仮説は価格の「向き」についてはよく当たり、価格の「振れ幅」の分布については外れる。どこが当たり、どこが外れるのかを、古典的な研究から整理する。
「株価はランダムウォークに従う」という言い方は、金融の教科書の最初の方に必ず出てくる。この仮説がどこから来て、何を主張し、どこで観測と食い違うのかを整理しておくと、その先にある様々なモデル — この連載の以降のノートで扱う量子ランダムウォークを含む — が「何を直そうとしているのか」が見えやすくなる。
出発点:Bachelier(1900)
ランダムウォークによる価格のモデルは、L. Bachelier が1900年に提出した学位論文『Théorie de la spéculation』(投機の理論)にさかのぼる(1)。Bachelier はパリ取引所の国債の価格を扱い、価格の変化を互いに独立な小さな揺らぎの積み重ねとして記述した。物理学でブラウン運動が理論的に説明される5年前のことである(2)。
現代の標準的な形では、価格そのものではなく対数価格の変化(対数収益率)が、互いに独立で同じ正規分布に従うと考える。これが幾何ブラウン運動で、Black と Scholes によるオプション価格理論の土台にもなっている(3)。
このモデルから出てくる性質のうち、後で効いてくるものが二つある。
- 向きは予測できない。 モデルの仮定では、今日の収益率は昨日までの収益率と独立である。
- 振れ幅は √t で広がる。 t 日後の対数価格のばらつき(標準偏差)は、時間の平方根に比例して大きくなる。そして分布の形は、どの時間幅で見ても正規分布である。
当たっている部分:向きの予測しにくさ
E. F. Fama は1970年のサーベイで、価格が利用可能な情報をすでに反映しているという「効率的市場」の考え方と、その実証研究を整理した。系列相関の検定やフィルター・ルール(一定の値動きを合図に売買する規則)の検証を通じて、過去の価格の動きから将来の向きを当てて利益を上げることは難しい、というのがそこでの中心的な結論である(4)。
この点は、その後の研究でもおおむね支持されている。R. Cont は2001年の論文で、多くの市場・多くの期間にわたって繰り返し観測される統計的な性質を「定型化された事実(stylized facts)」として11項目にまとめた(5)。その第一が収益率の線形の自己相関がほとんど無いことである(日中のごく短い時間幅を除く)。
ランダムウォーク仮説のうち「向き」に関する部分は、現在でも第一近似としてよく当たっている。ただし第一近似である。Fama 自身、効率的市場の一般的な形とランダムウォークを区別し、後者をより強い仮定として扱っている。また Lo と MacKinlay は、米国の株価指数と規模別ポートフォリオの週次収益率について、ランダムウォークを統計的に棄却している(棄却は主に小型株による)(6)。
外れている部分:振れ幅の分布
外れるのは、収益率の大きさの分布である。
裾が重い
B. Mandelbrot は1963年、綿花の価格の変動を調べ、大きな変動が正規分布から予想されるよりはるかに頻繁に起きることを示した(7)。正規分布では、平均から標準偏差の5倍以上離れた値は約170万回に1回しか起こらない(1日1回の観測なら、年250営業日として約7,000年に1度)。実際の市場では、そうした変動がずっと高い頻度で観測される。1987年10月19日、ダウ平均は1日で22.6%下落した(8)。日々の変動の典型的な大きさから見れば、正規分布のもとではまず起こりえない大きさである。
Cont の定型化された事実でも、裾の重さ(heavy tails)は中心的な項目の一つである。収益率の分布の裾は、おおむねべき乗則のように減衰し、正規分布の裾(exp(−x²/2) の形で、x² に比例する速さで指数的に減る)よりずっと遅い。
振れ幅が固まって現れる
もう一つの大きな食い違いは、ボラティリティのクラスタリングである。大きな変動の後には大きな変動が、小さな変動の後には小さな変動が続きやすい。収益率そのものの自己相関はほとんど無いのに、収益率の絶対値(あるいは二乗)の自己相関は正で、しかも時間とともにゆっくりとしか減衰しない(5)。
これは、収益率に「相関はほとんど無いが、独立ではない」ことを意味する。今日の収益率から明日の収益率の向きを線形に当てることはできないが、今日の振れ幅が大きければ明日の振れ幅も大きくなりやすい。ランダムウォーク仮説の「互いに独立で同じ分布」という前提のうち、観測が支持するのは「相関が無い」というより弱い性質までであり、「独立」は成り立たない。直前の振れ幅を知ったうえでの分布(条件付きの分布)は、日によって変わる。
上げと下げ、時間幅
Cont はほかに、株価や株価指数では大きな下落局面(ドローダウン)が見られる一方、同じ大きさの上昇局面は見られにくいという非対称性(gain/loss asymmetry)を挙げている。ただしこれは株式についての観察で、株価指数では報告がある一方(9)、個別銘柄では確認されていないという研究がある。ダウ30銘柄の日中データ(2018〜2019年の約半年)による近年の再検証でも、個別銘柄では確認されなかった(10)。
また Cont は、時間幅を長くとるほど分布が正規分布に近づく性質(aggregational Gaussianity)も挙げている。短い時間幅で見るほど、正規分布からのずれが大きく見える、ということである。
なお、収益率に相関がほとんど無く、分散が有限である限り、ばらつきが √t で広がるという性質そのものは第一近似として保たれる。外れているのは分布の形の方である。
裾の重さは時期によって変わるか
裾の重さは時期によって変わる、と報告する研究もある。Ahn らは、1992〜2021年に S&P 500 に継続して採用されていた米国137社の日次収益率について、年ごとに裾のべき指数を推定し、景気後退期には指数が小さい(裾が重い)と報告した(11)。著者らはこの指数を投資家の群集行動(ハーディング)の代理変数と解釈し、群集行動と景気循環の関係として論じている。ただし年ごとの推定値は30個、そのうち景気後退年は4年であり、指数を群集行動とみなすのも著者らの解釈である。
この報告が正しければ、収益率の分布を一つに固定して終わりにはできない、ということになる。
まとめると
ここまでをまとめると、ランダムウォーク仮説は次のように評価できる。
| 性質 | ランダムウォーク仮説 | 観測 |
|---|---|---|
| 収益率の自己相関(線形) | 無い | ほぼ無い(よく当たる) |
| 分布の裾 | 正規分布(薄い) | べき乗則に近い(重い) |
| 振れ幅の持続 | 無い | 強く、長く続く |
| 上げ下げの対称性 | 対称 | 株価指数では大きな下落局面が目立つという報告(個別銘柄では未確認) |
| 広がり方 | √t、形は常に正規 | ばらつきはおおむね √t、形は時間幅で変わる |
この食い違いを埋めるために、これまで多くのモデルが提案されてきた。最初期のものは Mandelbrot 自身が提案した安定分布である(7)。ただしその後の実証では、裾のべき指数はおおむね2より大きく、分散は有限と見られている。このため、分散が無限大になる安定分布は主流の評価では退けられた(5)(異論もある(12))。時間幅を長くとると分布が正規分布に近づくという観察も、足し合わせても形が変わらない安定分布とは合わない。その後は、ボラティリティの変動を明示的に組み込む GARCH 型のモデル(13)、たとえば Heston のモデルに代表される確率ボラティリティモデル(14)、そして物理学の手法を持ち込む経済物理学の諸モデルが提案されている。
量子ランダムウォークを、古典的なランダムウォークに代わる分布のモデルとして調べる研究もある(15)。これは市場が量子力学的な物理系だと主張するものではなく、量子コンピュータで計算を速くする話でもない。量子力学の数学を、確率分布を作る道具として借りる試みである。量子ランダムウォークでは確率ではなく確率振幅が足し合わされ、干渉が起きる。その結果、分布の広がり方や形は古典的なランダムウォークと大きく変わる。ただし、その分布は各時刻で有限の範囲に収まり、t が大きいとき、その広がりは有限の区間上の決まった形に近づく(16)。ここで見たべき乗則の裾とは別の仕組みから生まれるものである。次のノートでは、量子ランダムウォークとは何か、何が古典的なランダムウォークと違うのかを扱う。
この連載は、量子ファイナンスと経済物理学の研究を、公開された論文から解説するものである。特定の市場や資産の見通しを述べるものではない。
参考文献
- Bachelier, L. Théorie de la spéculation. Annales scientifiques de l'École normale supérieure. 1900, vol. 17, p. 21-86. https://doi.org/10.24033/asens.476.
- Einstein, A. Über die von der molekularkinetischen Theorie der Wärme geforderte Bewegung von in ruhenden Flüssigkeiten suspendierten Teilchen. Annalen der Physik. 1905, vol. 322, no. 8, p. 549-560. https://doi.org/10.1002/andp.19053220806.
- Black, F.; Scholes, M. The pricing of options and corporate liabilities. Journal of Political Economy. 1973, vol. 81, no. 3, p. 637-654. https://doi.org/10.1086/260062.
- Fama, E. F. Efficient capital markets: a review of theory and empirical work. The Journal of Finance. 1970, vol. 25, no. 2, p. 383-417. https://doi.org/10.2307/2325486.
- Cont, R. Empirical properties of asset returns: stylized facts and statistical issues. Quantitative Finance. 2001, vol. 1, no. 2, p. 223-236. https://doi.org/10.1080/713665670.
- Lo, A. W.; MacKinlay, A. C. Stock market prices do not follow random walks: evidence from a simple specification test. The Review of Financial Studies. 1988, vol. 1, no. 1, p. 41-66. https://doi.org/10.1093/rfs/1.1.41.
- Mandelbrot, B. The variation of certain speculative prices. The Journal of Business. 1963, vol. 36, no. 4, p. 394-419. https://doi.org/10.1086/294632.
- Bernhardt, D.; Eckblad, M. “Stock Market Crash of 1987”. Federal Reserve History. 2013-11-22. https://www.federalreservehistory.org/essays/stock-market-crash-of-1987, (参照 2026-10-11).
- Jensen, M. H.; Johansen, A.; Simonsen, I. Inverse statistics in economics: the gain-loss asymmetry. Physica A: Statistical Mechanics and its Applications. 2003, vol. 324, no. 1-2, p. 338-343. https://doi.org/10.1016/S0378-4371(02)01884-8.
- Ratliff-Crain, E.; Van Oort, C. M.; Koehler, M. T. K.; Tivnan, B. F. Revisiting Cont's stylized facts for modern stock markets. Quantitative Finance. 2025, vol. 25, no. 9, p. 1343-1373. https://doi.org/10.1080/14697688.2025.2530637. arXiv:2311.07738.
- Ahn, K.; Cong, L.; Jang, H.; Kim, D. S. Business cycle and herding behavior in stock returns: theory and evidence. Financial Innovation. 2024, vol. 10, 6. https://doi.org/10.1186/s40854-023-00540-z.
- Weron, R. Levy-stable distributions revisited: tail index > 2 does not exclude the Levy-stable regime. International Journal of Modern Physics C. 2001, vol. 12, no. 2, p. 209-223. https://doi.org/10.1142/S0129183101001614. arXiv:cond-mat/0103256.
- Bollerslev, T. Generalized autoregressive conditional heteroskedasticity. Journal of Econometrics. 1986, vol. 31, no. 3, p. 307-327. https://doi.org/10.1016/0304-4076(86)90063-1.
- Heston, S. L. A closed-form solution for options with stochastic volatility with applications to bond and currency options. The Review of Financial Studies. 1993, vol. 6, no. 2, p. 327-343. https://doi.org/10.1093/rfs/6.2.327.
- De Backer, S.; Rocha, L. E. C.; Ryckebusch, J.; Schoors, K. On the potential of quantum walks for modeling financial return distributions. Physica A: Statistical Mechanics and its Applications. 2025, vol. 657, 130215. https://doi.org/10.1016/j.physa.2024.130215. arXiv:2403.19502.
- Konno, N. A new type of limit theorems for the one-dimensional quantum random walk. Journal of the Mathematical Society of Japan. 2005, vol. 57, no. 4, p. 1179-1195. https://doi.org/10.2969/jmsj/1150287309. arXiv:quant-ph/0206103.